大津皇子 - Wikipedia: "大津皇子(おおつのみこ、663年(天智天皇2年) - 686年10月25日(朱鳥元年10月3日))は天武天皇皇子。母は天智天皇皇女の大田皇女。同母姉に大来皇女。妃は天智天皇皇女の山辺皇女。"
万葉集:
ももづたう磐余の池に鳴く鴨を今日のみ見てや雲隠りなむ(大津皇子)
現身の人にある吾や明日よりは二上山を兄背と吾が見む(大来皇女)
大津皇子には敵がいた。しかも相手が悪かった。壬申の乱を夫と共に戦い勝利した持統天皇(当時皇后)だ。天武天皇が死ねば跡継ぎの問題が生じる。才知あふれる大津皇子に引き比べわが子草壁は凡庸だったのだ。
人類の歴史で「嫉妬」ほど多くの暴力の引き金となったものはない。その感情は相対的・多面的な比較から発生するものであるから、いくら社会全体が豊かになり表面的改革がなされても、個体差が存在する以上お終いとはならない。やっかいなものである。
2 件のコメント:
二上山。
大津皇子の怨念の系譜を現代にまで見事によみがえらせた小説、五木寛之の「風の王国(1975)はすばらしかった。それ以降の五木はなんだか抹香臭い話ばっかり書いたりしゃべったりしてあまり好きじゃありません。
それはともかく、二上山は大阪からよく見えるし奈良側から登るのはとても簡単な低山であるにもかかわらず、ものごとを陰・陽で二分すると陰の極といったおどろおどろしい気に満ちた山です。古代の死霊や生き霊が跋扈しているというか。
「風の王国」に触発されて4・5回立て続けに登りましたが、やはり変。風雲急を告げるといった怪しげな風が吹いてきます。
近くには屯鶴峯(どんづるぼう)という名のこれまた異形の景勝地があります。
二上山に何度も登られたのですか。小生はまだ一度も。何か恐ろしげなところらしいし奈良盆地にはあまり行かないので登ったことはありません。そもそもお墓を山の上に造るというのがいわくありげですね。五木寛之『風の王国」も読んでませんが、面白そうだから図書館で探してみよう。
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